高校野球から学んだ反骨心

休日の家事の合間に高校野球西東京大会の決勝を見たら、久しぶりに自分の高校時代を思い出しました。

もう20年以上も前の話ですが笑

昔話になりますが、つらつらと思い出を書きます

高校から野球を始めた


 
 自分は高校に入って野球を始めました。

なかなかいませんよね。

単純な理由として、甲子園を見ていてそれに憧れたからでした。確か松坂世代のときでしたね。(時代を感じますね笑)


 高校から硬式野球にトライする、結構な覚悟で入りました。

恥も何もかも捨てて頑張ろうと思いました。

今でもよく高校1年の自分がそういう決断ができたなと思っています。

もっと楽に高校生活を送る方法もたくさんあったはずです。

 想像通り、野球未経験の硬式野球は過酷でした。

その頃からある程度持久力はあったものの、野球は瞬発的な力が必要で完全に苦手分野。

しかもセンス的なものが無かったんです。

致命的!できなかったこと

•トスバッティングでのバントが空振り
•フライの落下点がわからない
•バットスイングが波打つ
•とにかく線が細く何をするにもパワー不足

特に今あげた4つには本当に苦労しました。

ポジションも自信がないので外野手一択。

正直、毎回練習のときからすべて精神的な苦痛がついてきていました。

同級生からも正直なめられていたと思います。

そりゃど素人だし、練習の邪魔になりますからね。

その気持ちはよくわかります。
部のなかでも一番最初に辞めるんじゃないかといつも言われていました。

 正直それが一番悔しかった。

なので辞めようとは最後まで思いませんでした。

後輩がはいってきて

後輩が入ってきても実力が無い自分はすぐになめられます。

しかも自分の性格が穏やかなタイプですし、力も無いので特にですね。

先輩と思われていたんでしょうかね笑

怪我もついてきた 

でも毎日、ミスしては罵声を浴び、それでもできなくて居残り練習して、帰っても練習してとやっていたらいつか試合に出れるんじゃないか!?そう思っていました。

 次に襲いかかってきたのは怪我。

疲労骨折を2回やりました。

身体ができていなかった、栄養面、休養面の配慮が足りなさすぎました。

故障で練習に入れないときもサポートや筋トレを続けて過ごしました。

 やっては怪我、やっては怪我、気持ちに身体が付いていってなかったんですね。

ラストイヤー

 最後の学年、練習試合に少し出してもらう機会がありましたが、結局最後までヒットを打つことはありませんでした。

 親が必死にやっているところを見ていたのか、すごく協力してくれて応援してくれました。

最後までその期待に応えられなかった悔しさが今も残っています。

 もちろん最後の大会はスタンドで応援。

正直いつ負けてもいいやという気持ちでした。

レギュラー組は入部したときから、実力があったので自分から見たら練習もあんまりしないのに本当いいよなぐらいの存在で仲良くしようとも思いませんでした。
 

明らかに自分の方が必死にやっているのに遊びでやっているようなレギュラー組は嫌いでしたね笑笑
 

今思うとそんなことは無いんでしょうけど、その頃は病んでいたのかもですね。

それくらい追い込まれていたんでしょう。

 最後の大会に負けました。

あー終わった。。ここまでようやったわ。と思っていたとき、レギュラーの1人が泣きながら、自分に「ほんといろいろサポートしてくれてありがとう、一緒に野球やれて良かった」と言ってくれました。

 絶対泣くわけないと思っていたんですがちょっとだけ泣いてしまったかもです。

こうして自分の高校野球の3年間は終わりました。

自分にとっての高校野球は

•毎日、精神的な屈辱の連続
•やってもやっても結果が出ない絶望感
•そんななかでも親になんとか良いところ見せたいという気持ち

こういう時を過ごしました。

高校野球を引退しても、悔しさが心の隅っこにずーっと残っていました。これだけ必死にやってなんで結果を出せなかった、もっとやれること、工夫すれば結果は変わっていたんじゃないか、そう考える日々でした。

就職後に活きる

 就職活動に入り、野球ではボロ負けだった同級生たちより一番早く関東への就職を決めてました。野球部の顧問からも

野球はできなかったけど、そういうかたちで結果を出したやつがいる

とほかのクラスで自分のことを話していたそうです。

辞めなかったこと、できなくても腐らずに必死にやり続けたことが評価されたんだなと素直に嬉しかったです。

でも、やはり絶対やれたという悔しさが残ったまま故郷を離れ、東京へ。

会社人生が始まったという流れです。

今でも人生一番苦しかった期間は高校生活だったと思います。

苦しい道を自分で選んで逃げずに終えたのは自己肯定感にもつながっています。

これから先の人生にもこの反骨心は残り続けると思いますし、今の自分を型どっているものです。

高校野球は最高でした。これが無ければ今の自分はなかった。

まとめ

•20年前のたった3年間の記憶ですが、こうして残しておくことで悔しい気持ちが蘇り頑張れる

•今でもこの時異常の精神的苦痛は無い

•どん底を経験したので今の自分がある

•この時に比べれば仕事や家庭のストレスは全然軽い

部活で成果は無かったですが、ほんとに自分自身、人間が固められた3年間でした。

以上、昔話でした笑

長文読んでいただきありがとうございました。

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