己は変えられるが他人は変えれない理論について

 数日前の朝、家族にいろいろ怒られていました。

私がやっている家事に文句つけたり、駅まで5分前に着くようにしている話を優雅で羨ましいわ!って言われたり、まあ理不尽なものもありました。

こちらも怒り震盪しそうでしたが、自分にも少しでもがある部分を考えます。

•家事の一部を見られて、その人の思う通りにやっていなかった

適当に見えたらしい、そういう行動をしてしまった

•早めに駅に着いて落ち着いて出勤するほうが良いという話を上から目線でしてしまっていたらしい

この辺です。小さいことだなと思っても、悪いことは悪いのでまず謝り、改善できるようにするよと言います。

なかなか忍耐な場面なんですが、少し最近考え方を変えています。

己は変えられるが他人は変えれない

前までは自分の行動が良ければ周りに写り、良い環境になる、自分の鏡が周りの人なんだからと思っていました。

しかし、これはちょっと違うのでは?と感じています。

他人を自分の行動、発言で変えれるというのはほぼ無理です。

実際に自分もそうだからです。

自分で他人から影響をもらい、そこから変わる行動をするのは自分自身の意思です。

変えれるのは自分だけなんですね。

なので他人も変えれるのはその本人の意思次第なんです。

ここを間違えてはいけないと思いました。

ブログで発信を続けていますが、つくれるのはその人が変わろうとするキッカケの一つになるかどうかだけです。

他人を変えれるなんて烏滸がましいことは言いません。

ブログを書き始めて一番変わったのは自分です。それは常に感じています。

その考えを意識すると

文頭の朝の例ですが、

何言ってんだ!俺はやっているんだ!そんなこと言うなら自分でやってよ!もうちょっと早く起きれば良いじゃない!早く出発すれば良いじゃない!

と考え

こうやれば早く起きれるよ、もっと余裕を持って行動しようよ

アドバイスしたくなりますが、あまりしすぎるとそこも相手の感情を逆撫ですることになってしまいました。

自分としてはせっかくアドバイスしているのに、何でやらないんだろう、良いことを教えたのに逆に怒られるのはなんだろうと思って凹むこともありました。

己は変えれるが他人は変えれない

理論だと、変えない部分として、謝ること、自分が今度からこう行動しようと考えることはそのまま維持します。

しかし、相手にこうすれば良いのに、こうやればできるのに、こうやって欲しいのにという要求は考えません。

相手が自ら考えて良かれと思ってやってくれた行動に素直に感謝し、お返しします。

シンプルにこれだけ考えれば良いと思いました。

相手の悪いところを考えて感情的にせめて喧嘩するのってすごくパワーがいるし、その時間がもったいないです。

その時間があるのなら、自分を変えたいと思ってやろうとしている行動に使いたいです。

まとめ

•賛否両論あると思いますが、あまり他人の感情に流されると疲れるし時間がもったいない

己は変えられるが他人は変えれない理論は、他人を変えようとする時間を自分を変える時間に変換できる

•ただし、話をしっかり聞くこと、相手への礼節を大事にすること、今後の行動に生かすことは忘れない

以上参考にしていただければ幸いです

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